十年目の震度六

いや、揺れました。昨夜の大地震。まだ記憶に新しい方も多いのではないでしょうか(って、これ翌日に書いているわけですが)。

昨夜は風呂も上がり缶ビール三本。

いい塩梅の酔い加減、かつ昼間も動き回っており全身心地よい疲れの和みの一時であった。

さぁ今日もインターネットラジオを聴きながら寝よう!健やかな明日のために今日は早く寝るぞう!!とパーソナルコンピューターの電源を落とし、今まさに寝らんトス・・といった一日の終り、十三日午後十一時時八分、そいつは唐突にやってきた。

カタカタ・・という割とよくあるいつもの揺れ。この辺ではこの手の小さな地震は割と頻発しており、もうそのくらいではもう何とも思わない、よしんば寝ている場合にはいっそそのまま惰眠を貪ってます、はい。という人も意外と多いでしょう。

自分もそうなので「おお、揺れているぜ・・」ぐらいの感覚で努めて大きな気持ちでドンと構え、あくまで平静を保とうとしていたのだった。

だが、いつもとは違ったのである。

次第に大きくなる揺れが突如ゴゴゴゴン!!!!と縦の揺れから横揺れに変わったような気がした。音楽ならこの縦から横への変化は実に計算された演出と言えるのだが、これは地震では歓迎できない展開である。そしてついに僕が男の隠れ家としている納屋の二階の仕事部屋件自室が「本日で世界は終了です」というかのような激しい全体的な揺れに見舞われたのだった。もう横とか縦とかよくわかりません。

ガタガタガタガタガタッ!!!!!!という轟音と鳴り響くスマホの緊急地震通報。ウィー!ウィー!ウィー!というけたたましいビープ音のアレですね。

思えばこの音のせいで僕は若干軽いパニック状態へと突入していったような気もするのだが、この音なんとかなりませんか。

ウルトラマンの『ワンダバダバダバ・・』にしろ、というのは望み過ぎなので、せめてドリフの大オチ場面転換のチャチャチャスッチャカチャッチャッ・・・(盆回りというタイトルらしい)とか。

うーん逆にありえないか。

とにかく、その緊急地震通報の爆音と町内の公共放送の『地震です・・・!!!地震です・・・!!!!』が鳴り響くディストピアな状況下に於いて、まずは冷静な行動を、更にその次に適切な行動措置を・・と僕は必死に自分に言い聞かせ、導き出した答えは『現在地点からの素早い脱出』であった。

激しく揺れる納屋の階段を駆け下り階下の物置きへ。

本棚やスノボー、色んなガラクタがグラグラと揺れている。その光景を見てここを中央突破して出口へと向かい、さらにその外のガレージを抜けて庭へ出るのはもはや無謀そのものに思えた。

こういった場合の判断は難しい。今来た階段をもう一度上り自室へ退去・・というのはありえない選択だがかと言ってこのままこの状況下を突破していくというのもはっきり言って危険な賭けのように思えた。

しかしこうやって階段の下でジッとしていても余計に危ないではないか。

行く先々、つまり正面には死があり、背後(撤退方向)にはまるで人生の終わりが待ち受けているような気分なのだ。

僕が選んだ行動はあくまでも正面突破。一か八かだけどまずは外へ出よう!というものだった。

日頃から整頓に努めていなかった己を顧みるイトマもなく雑然とした物置きを裸足で駆け抜ける。

ガラガラ!!!!と揺れ盛る引き戸を開け放ちガレージへ。車が左右に揺すぶられている。相当に長い揺れなのだ。

そのまま二台の車の隙間を駆け足で外へ。屋根から物が落ちて来たら一巻の終わりだな・・という恐怖感が凄かった。
両親の寝ている隣の家へそのまま「地震だァ!!!地震だァ!!!!」と叫びながら駆け込んだ。

七十歳の親父がリビングで寝間着で慌ててテレビを点け、寝惚けている母親も寝室から降りてきた。とりあえず人間は無事なのだ。

気になるのは更に母屋に残されている猫である。スピーカーとかの下敷きになってないか?!と戦慄し僕は母屋へと急いだ。

ここまで読んで割と勇敢な行動を取っているかのように思われる向きもあるかもしれないが、随分と後先考えない行動で突っ走っていたなあ、というのが翌日になってこれを書いている今の正直な感想である。よくハリウッド映画とかポセイドンアドベンチャーとかで物語の序盤で勇敢な行動を取りあっというまに死んでしまう登場人物がいるが、僕の場合などまさにあれだろうなと思うのだ。

とにかく、もう一度外に飛び出し母屋へ。

古くなってきている母屋などは今にして思うと倒壊の危険も高く今後このような事があった場合にもう少し冷静な行動が求められるべきだったと思う。無論猫は心配だが。

ソフトバンクの孫正義さんなどは石橋を叩いて多くは結局渡らないが、一度渡ると決めたらばダンプカーで渡る、などとご親族に言われているらしいが、僕なんかは数分後には壊れてしまう石橋だと知らずに渡ってしまっている状態でやっと危険に気付くタイプだろうという気がするのだ。

母屋の引き戸を開けると台所のダイニングテーブルの下から猫が出てきた。うーむ、なかなか賢いのだ。

猫を抱え老両親の待つリビングへ。親父がテレビを点けて速報を見ている。

地震は収まったが散乱物が凄い。額縁や電気スタンド、本、などが床の上に転がっている。テレビでは早速震度は六・・と伝えていた。

この震度は実際にこうして体験してみるとなかなかのものなのだ。

各地からの被害状況が少しずつ明らかになっていくにつれ、非常に大きな地震だったという事が分かってくる。

しかし、今回は津波の心配はない、とテレビが伝えてきた。

あれはなんであんなに早く津波が来るか来ないかわかるんですかね?知っている方いれば教えてください。

テレビを見続けているといつまでも見てしまう気がしたのでキリがいいところで自室へと戻る。

CD、オーディオ、パソコンの付属品関係、本、カメラ・・などがまるでドロボーでも入った後のように散乱している。

この時点で片付けを翌日に諦め、友人たちからのメールやLINEに目を通し迅速に簡潔に返事をする。

更に僕がボランティアで関わっているフリースクールの校長と子供たちの安否の確認などを行う。

まったく凄い地震だったのだ。

幸いこうやってエッセイを翌日に書けているという事実は何事もなく無事であったという証拠だが人的被害は無かったものの物損や何より心理的ショックはかなりのものであった。

改めて昨夜は僕などの安否を気遣い、連絡をくれた友人知人の皆さんにこの場を借りてお礼を申し上げたいと思います。

仮に自分などが死んでも日本のGDPにも地域社会にも何の影響も与えませんが、皆さんとの熱い人生後半をもう少し楽しんでいきたいと強く願う今回の出来事でした。

偶然にも昨日は昼間書店で『今後40年間に起こること』というような本を読み、天災は必ず起こる―というような項を熟読していたばかりだった。

人間などというものは自然や様々な天災に対して非常に無力なのだな、とは思うのだけど、出来る限りの備えと心構えをし、いざその時には間違いのない判断で人命第一な行動を心掛けたいと思った次第。

翌日、外へ出てみると桜の根本にある祠はバラバラに崩れ去っており何故か母屋の扉という扉が開いていた。

その隙間から表へ出たらしい猫が「ニャーオニャーオ」と鳴きながら歩き回っているのが唯一、平和な朝の訪れを物語っているかのようでありました。