いきなりだが、このホームページへのアクセスが伸びているのである。
これはほぼ更新の無かったこのページで年初からいきなりこんな訳のわからない駄文を書き始めた事に原因があるのは明白なのだが、今までの仕事の上であまり接点の無かった方や音楽以外の繋がり、またお世話になっている諸先輩方やご高齢の方たちにも幅広く感想や「もっと書いて欲しい」との言葉を頂き、大変ありがたい限りです。
とは言っても本業の傍ら、コロナ渦の在宅時間の増加に伴う余技のつもりでやっていることなので本人もどこで気が向きモチベーションが上がるか予測のつかない事なので今回のような長期の休載もどうかお赦し願いたい次第。今後も引き続きよろしくお願いします。
突然ではありますが、うちには一匹の猫がいる。
昨年から飼い始めた茶トラでその名を『ベニマル』というのだ。
ベニマルといえば、関東以北の人間にとってはスーパーの『ヨークベニマル』の事であり、よもや猫自身もそんな名前を自分が付けられているとは知る由もないだろうが、名前の由来は色々あるが昔から日本ではショーユを掛けた白飯を『桜飯』と言ったり、どう見ても茶色のお茶を紅茶、と言ったりするので茶トラの猫であるし一応そこに因んでいる、というのをひとまず公式な見解としたい。
(本当は僕がヨークベニマルの刺し身のファンだからなのであるが)
ベニマルとの出逢いは遡ること一年前。
自室兼仕事部屋にしている物置の二階へと上がる古い階段を夜、眠るために登っている時に、小さく子猫の鳴き声が聞こえてきた。
僕は最近になって知ったのだけど、猫というのは年がら年中出産しているわけではなくて元来、自然のままだと、三月から十一月生まれしかいないらしい。つまり、真冬に生まれる野良猫というのはいなくて、ベニマルもまた春のまだ少し肌寒い季節に僕の前に現れた。
どうも物置の棚の上の方から子猫らしき猫の鳴き声がしているので、鳴き止まないなあと少し心配になり脚立を持って行って奥を除くと農業ネットにがんじがらめになってもがいている小さな茶トラがいたのだった。
ことの成り行き上、一応網から外し保護したものの生まれたばかりらしい子猫の育て方の知識などは当然なく、おたおたと自室にカゴに入れて連れていった。
慌てて周囲の動物好きの人間に問い合わせると子猫が一匹でいる事は無い気がするなあ、と言われたので念の為もう一度農業ネットの奥を漁ると突然ネットがモコモコ!と動き出して三毛猫がそこから脚立の下へと勢い良く飛び降りたので驚いて脚立から落ちそうになってしまった。
気を取り直して棚の奥の方を見るとうずくまっている小さな子猫が二匹。白いのと茶色いのが不安そうに固まりそこに丸まっているではないか。
心配そうにその棚を脚立の下から見上げる三毛猫。こいつが母親なんだな、とすぐに理解する。となるとさっき保護した茶トラはこの親の子供で他の二匹の兄弟なのは明白で、一人物置棚を探検中に迷走し網に絡まり帰れなくなった元気なヤツ―が今僕と暮らしているベニマルなのだった。
慌ててベニマルをその二匹の傍に置いてやるとしばらくは母猫も困惑していたが、二~三日経つと忽然とそこから姿を消し家族でどこかへと引っ越していった。
子猫というのは母親の母乳を飲みそこから免疫を得て強い猫になるらしいので、ああして一度きちんと母猫に再会しきちんと教育を受けることが出来て結果的には良かったと思うのだが、なぜベニマルが今僕と一緒に暮らしているかというとそれから数ヶ月して彼はなんと元の物置へと一人で帰って来てしまったのである。
これまた僕が一人で部屋に戻ろうとしている時に反対側から歩いてくる茶色い猫が玄関口で立ち止まり小さくニャアと鳴いた瞬間にすぐにあの時の子猫だ、と分かった。
母猫から独り立ちしたベニマルとの再会だった。
それからしばらくはそうして僕と玄関の外で昼間たまに顔を合わせる程度だったのだが、またある日突然パタリと現れなくなり、少し心配になっているとそれからまたしばらくすると今度は首に深い噛み傷を負ったベニマルが僕の誕生日の朝に玄関に震えながら佇んでいたのだった。
怪我をしてしばらく顔を出す事が出来なかったのか、と分かったのでひとまず餌を与えて家へと招き入れると躊躇わずに奴は中へと入り部屋中を歩き回り、部屋の片隅でしばらく休ませてもらうぜ、とでも言うかのようにそこに寝そべった。
以上のような二度の再会を経て現在僕と暮らしているベニマルなのだが、今の所順調に成猫へと成長し毎日バリバリと飯を喰らい元気にその辺を走り回っている。
田舎なので庭の範囲くらいは歩き回っても大丈夫だろうと思い飼育環境を室内だけには留めていないが、夕方にはきちんと家に帰ってくるのでどうやらここが自分の家だというひとまずの認識はあるらしい。
ベニマルが来たことによって色々と生活のサイクルも変わり、腹が減れば飯をねだりに来るし猫便所の掃除も定期的にやらねばならないが、自分の生活に起きた小さな(しかし大きな)変化はそれなりに充実した日々の暮らしのエッセンスとなり、僕とベニマルとの生活は付かず離れずの距離感でひとまず安定して営まれている。
猫というのは人間の年齢に換算すると生後一年で約十八歳で更に二年で約二十四歳。その後は猫の一年は人間の約四年分、ということなので赤ん坊と思っていた子猫に気がつくと自分の歳を追い越されていた―ということになる日もそう遠くはないのだろうが、一年前の偶然の出逢いから二度の再会を経ての今、この猫には愛と冒険に満ちた猫の人生を目一杯楽しんで過ごしていって貰いたいと思うのだった。