世の中に真の悪人はいないがルールを犯す奴はいつの時代にもいる、というのが持論である。いや、この書き出しは断言調だけどちょっとツメが甘いな。悪いやつはやはりいるものな。まぁそういう事を言っていても始まらないのでどんどんいこう。
運転免許証を取得してもう二十年以上になる。その間大きな事故や違反もなく、幸いにして取り締まりの対象となったこともなく現在ゴールド免許保持者である。しかしそんな僕が昔、一度だけパトカーに公道で追われたことがあるのだ。今回はその話を書く。
話は飛ぶが音楽が仕事になる前、旅行ばかりしていた事がある。もともと放浪癖があり、余計ないざこさや面倒に巻き込まれるのが嫌いではなかったので(今では大嫌いである)地方の珍しい行事やマイナーな観光地、特に観光地でもないところ、色々と顔を突っ込んでいた。
今思うとその紀行(奇行?)の日々が現在の自分を形作ったようにも思う。
若い時というのはたいてい貧乏なので(そうでない人もいるが)、旅行が好きでも何でもお金で解決するようなブルジョワジーな旅行が出来ず、青春十八きっぷで移動したりヒッチハイクなどをする人も多いので、そういうのは必然的に色んなトラブルや出逢いやアクシデントに恵まれた味わい深い『旅』となる。
この辺がどれだけインターネットやSNSが発展し人との触れ合いが簡単になった現在でもなかなかやらないとわからない、得られない体験感覚だと言えるだろう。
もっとも今(2021/01/05現在)はコロナのせいでとりあえずどこにも積極的にはいけないが。
昔は僕もよく青春十八きっぷというものを愛用していた(この切符の詳しい説明は省く)。この切符は今ではむしろ青春野郎というよりもどちらかというと定年退職後の悠々自適なオジさんたちに人気のようだ。素晴らしい切符なのでJRには今後も頑張って欲しい。しかし電車の旅もそれはそれで味わい深いが、男の旅の永遠のロマンといえばそれはやはりバイクの旅なのである。
己の愛車を転がして見知らぬ土地へ。その土地の風物や時には心踊る出逢いに心打たれつつも、決してそれらに執着せず夕日の彼方へと再びまた走り去っていく―。僕もそんな旅に憧れていたのである。
バイクの免許を取得したのは二十歳の時だ。
しかし実際にバイクを駆って旅に出れたのは二十六歳を過ぎてからである。その間はずっと電車の旅をしていたのとバイクを買う金がなかなか貯まらなかったからですね。初めてのバイクでの旅は山陰地方だった。
その時ちょうど福岡に暮らしていた僕はHONDAのVT250 SPADAという250CCのバイクを中古で手に入れそれに近所のなんでも屋でキャンプマット、ロウソク、シュラフ、蚊取り線香などを積み込み颯爽と北へと向かったのだった。どこに行くとも決めていなかったが地図を見て山陰地方の日本海側を走ってみようと思ったのだ。
福岡から北九州市方面へ。その途中で確か自分で握ってきたにぎり飯を食った。
北九州市から関門トンネルを抜け無事に下関へ着いた時にはとても嬉しかった。コンビニで水を買いトイレを使わせてもらう。「旅行ですか?」とレジの人が声を掛けてくれたのを今でも覚えているのだ。
そのまま海沿いを走り、ひとまず萩まで行ってみたいと思った。
しかし予定を立てない行動の脆さから移動の途中で日が暮れ始め、見知らぬ海辺でのキャンプを余儀なくされた。狭い砂浜の一角の崖の下にテントを張り焚き火でレトルトのカレーを温める。
ポケットウイスキーを飲みながら狭いテントの中で寝ようとしたが、一人での野宿の不安と凄まじい蚊の大群に悩まされ、まんじりともできない苦しい夜となった。
次の日は何とか無事に萩を見物し、さらなる北上を企てた。しかしここで中古のバイクのエンジンの調子が劇的に悪くなってきたのだった。セルを回してもエンジンが掛からなくなったりシフトチェンジのタイミングでエンストをするような怪しい挙動になり、ここは騙し騙しでも一度家に帰って近所のバイク屋で見てもらうべきだろうと判断した。
ひとまず、萩から山陽方面へ向かうことにし、山中の小京都と言われる津和野へ。ここは昔、電車で来たことがありバイクでこうして再訪できたのは嬉しいことであった。
市内を見物したところで雨が降ってきた。エンジンの不安定なバイクで雨の中を走るのは危険である。
雨が止むまで津和野の町中の公園で呆然と過ごす。自分に関係のある人間関係はここにはなく、知っている人は誰もいない。傍らには中古だが(そして故障気味の)愛すべきバイク。静かに山中に降り注ぐ雨と遠くの雲の隙間から時折挿してくる初夏の太陽の日差し。今でも人生の中で燦然と輝く思い出の一ページなのだ。こういうのはネットに沈んでいてばかりだと絶対に感じられないことだと今でも断言できる。
雨が止んだところを見計らって山陽方面へ走り出す。ここから小郡方面へは峠もあるが比較的快走できる気持ちの良い道が続く。無事山陽へ抜けると、辺りは既に夕暮れが迫り天候も悪くどんよりとした空気になっていた。
『今日中に無事に帰れるだろうか―。』
不安に思いながらも小郡駅前での休憩を挟み九州方面へ走り出す。迫りくる夕闇、ここからは厳しい峠も続く。おまけに雨まで降ってきた。梅雨の間隙を突いて旅に出てきたとはいえ、バイクでの雨の移動は厳しい。体温がどんどん奪われた。とにかく寒いので一刻も早く家に帰り着きたいと思い、どうしてもスロットルが開き気味になる。
途中の信号待ちで雨足が一気に強まり、早く何らかの屋根のある場所をひとまずは探さねば、と思い次の信号をギリギリでスルーした直後、後ろからパトカーのサイレンの音が聞こえたのだった。
「しまった!」
慌ててスロットルを緩めるも、後ろから拡声器で「あー、そこの赤いバイクの方、次の路肩で安全な位置にちょっと停まってくれるー?」
という警官からの非情な指示が飛んだのがヘルメット越しに少しくぐもって(しかしハッキリと)聞こえた。ちょっと停まってくれるー?などとこちらの恣意性に訴えるような言い方なので、思わず「結構でぇす」と行って走り去ってしまいたい衝動に駆られたが、なかなかそんな思い切った事も出来ずに、僕がずぶ濡れのまま次の路肩で不本意な停車をすると例のパトカーがすぐ後ろに静かに停車し中年の警官と若い新人警官(らしき人)がドアを開けてそそくさと降りてきた。
「おー、大丈夫か?凄え雨だけどこんな小さなバイクでよー」
と中年の警官の方が声を掛けてくる。その後ろでおずおず、といった表情で新人警官の男がこちらを伺う。
「サイレン鳴らして悪かったなあ。赤に変わっちまうところだったから仕方なく鳴らしたんだあ。後ろの荷物が落ちそうだから教えてやろうと思って追いかけたんだ!」
と中年警官が僕のバイクの荷物を指差す。
ゴムロープで縛り付けたマットや昨晩使ったテントなどが確かに雨で緩んだパッキングからずり落ちそうになっていた。
「これ、もう一回荷造りしねえとダメだなあ。雨だけどこれはここでやっちまうしかないなぁ」
と言い中年の警官が新人警官にオイ―、と声を掛け僕と警官の三人であれこれ工夫しながら不安定な荷造りを雨の中もう一度まとめ直した。その間三人ともずぶ濡れである。
荷物が何とか上手くまとまり手で荷物を揺すぶって固定の強度を確かめると中年の警官が「福岡までここからバイクで雨の中帰るのは危険だから、どこかで休んだ方がいいぞ」と忠告してきた。
「そうですね・・小倉くらいまで行けばビジネスホテルもあるしそうします」
と素直に僕もそれに応じる。やがて二人の警官は「気をつけて下さい。では頑張って!!」と言い残し颯爽を走り去っていった。
僕はホッとし、バイクに跨った。信号無視で捕まったのかと思ったので、その後の意外な展開に呆気に取られていたというのが正直なところだったが、知らない土地の暗闇で冷たい雨に打たれ内心焦っていたところで、こうして見知らぬ人に助けて貰えた感動がしみじみと胸中を駆け巡った。
さて―。
雨はまったく止む様子がなかったが、僕は軽やかな足取りでバイクを走らせた。
小倉の手前でスーパー銭湯の看板を見つけたので寄ってみる。
躊躇することなくその風呂へ入浴、どうも泊まれる様子だったのでもうここに一泊してしまうことにする。風呂上がりに生ビールを頼み、温かい場所で乾いた洋服で飲む一杯に再び感動を覚える。
次の日、外に出ると空はカラッと気持ちよく晴れ上がり梅雨の合間の素晴らしいツーリング日和と言ってもいいような天候だった。
このまままた再び家とは逆方向へ出発してしまいたい気分だったが、バイクの調子が悪いので一度家に戻ることにした。
調子の悪いエンジンを不安に思いながら掛かるかどうかという気持ちでセルを回す。
何とか一発で始動。ふうー、とため息を付きヘルメットを被る。
またここから関門トンネルを抜けて九州へと帰るのだ。
関門トンネルは当時、確か250CCのバイクが通過するのに60円ほど掛かっていたと思う。(検索したら125ccを超える二輪車は100円とあったので値段が上がったのか記憶違いの可能性あり)
料金所を抜ける時、係の人が僕の汚い姿を見て同情してくれたのか小銭を出そうとすると「いいから通りな」と言ってくれた。つまりただである。昨日からツイていることが多いぜ、と感じながら「それはスミマセン・・」と挨拶しトンネルへと突入する。
もうすぐ自分のアパートのある九州である。
短い旅だったけど色々あったなあと昨日からの事を振り返る。
今でも警察というのは基本的に好きではなく、世の中の絶対の正義などというのもまた観念的な存在にしか過ぎないというのが僕の考えだが、あの時の中年と若手の警察官二人は間違いなくあの瞬間、とてもいい正義の顔をしていたのを憶えているのだ(少なくとも僕にとっては)。
そしてさっき関門トンネルの六十円をまけてくれたオッチャンもまたとてもいい『正義』の顔をしていた。
僕だけがまだ何者でもなかったが、ひとまずは狭い自分の基地へと帰還するのだ。
そこにはとりあえず屋根があり、暖かい布団があるのだ。
今はそれで上出来だー、と思い僕はバイクのアクセルを吹かした。
今度はパトカーは追ってこなかった。