自分SNSより
【土砂降りの雨を避けながら地下鉄に駆け込み、その地下鉄が地下から地上に出た瞬間、雨上がりの東京の空に大きなハッキリとした虹が出てました。
思わず窓に駆け寄り、その虹をスマホで撮影していると僕のすぐ横に見知らぬ女性が駆け寄って、同じ窓から同じ虹をその子もスマホで撮影していました。
「凄い虹だね」
「…はい!」
「こんなにハッキリと下まで掛かっている虹なんて、久しぶりに見たかも」
「私もです!!」
だだ、それだけの会話と触れ合いでしたが、僕はこの瞬間の事をおそらく一生忘れないだろうなと思いました。
先に降りる駅が来た僕が
「じゃ…お互い何か良いことあるかもね」
と声をかけるとその子も
「はい!さようなら!(笑)」
と笑顔で返してくれました。
今までの人生の何か一つが欠けても、電車に乗り込むタイミングが少し早くても遅くても、この瞬間やその子には出逢えなかったのか…と思うと生きることの不思議さや、誰かとの出逢いの奇跡に想いを馳せずにはいられません。
どんな殺伐とした都会や、まだ行ったことのない遠くの街にも、きっとそんな出逢いや素敵な瞬間はきっと無数にあるはずです。
生きることを楽しみましょう】
僕が音楽を仕事にしているから、というわけでもないのですが昔から自分は幸福というものを刹那、という言い方がよくないとしたら何らかの瞬間の中に見出す傾向があったように思います。
例えば人を信じる、という事を恒常的に出来ないとしても、何らかの瞬間に誰でも人を信じる気持ちになれることはあるはずだし、感謝するという事を習慣的に継続できないとしても、何かに感謝する瞬間というのはどんな人にだってあるはずだと思うのです。
その瞬間をSNSのいいねとかで反芻しようとしたり記録したりすることは本当は意味があまりなくて、いつでも人は今生きているこの一瞬の中に自分の在り方や思い、人との触れ合いや生きる意味があるのだと改めて感じます。
永遠に鳴り続ける楽器がないように、生きることもいつかは終わりが来るものだからこそ、バーチャルなことではなく『何かに自分の心が動くリアルな一瞬』にいつまでも敏感でいたいと思います。